【2023】晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行に参戦【後楽不動産】

ゴールデンウィーク皆さんいかがお過ごしでしょうか!?

後楽不動産経営企画室の高木です。私は2023年5/3に開催された晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行に後楽不動産の有志と共に参戦してきました。本記事ではその内容を投稿していきたいと思います。

目次

晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行とは

簡単に説明すると、晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行とは規約・ルールに則り24時間以内に100キロを歩くイベントです。

大会趣旨

24時間以内に100キロを歩くことは、心と体の限界を超え、未知の領域を体感し、自らの可能性に挑戦することです。
チャレンジャーはもちろんのこと、それを支えるサポーターにも多くの「学び・気づき」を与え、「感謝・感動」を共有する価値ある機会となっています。
郷土岡山の歴史と自然の香り漂う空間の中で先人の偉業に想いを馳せ、参加者の皆さまが自らを高め、新たな可能性を発見し、「感動」と「感謝」を共有する時間を創出する大会として取り組んで参ります。

私もこの挑戦が、たった1度の人生に意味をもたらしてくれることを考え、参加することに決めた経緯があります。

参加メンバー

今年の晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行に後楽不動産から参加した5人のメンバーはこちらです。(写真右から、田中係長、下田さん、野村さん、松岡さん、高木)

途中経過

コンビニ休憩 〜22キロ(?)〜

20キロ前半、コンビニで小休憩をした時の1枚です。まだまだ笑顔は健在です。

この時点で、先頭集団付近にいた元陸上部の下田さんと残りメンバーでは既に数キロの差ができてしまいました。

備前中学校 〜44.8キロ〜

備前中学校での1枚です。前半の山場となる山越えを終えての休憩です。

ちなみにこのアップダウンは身体にこたえました。特に下は膝にダメージを与えてきました。

一足先にリタイアしていた野村さん(写真左)が差し入れを持ってきてくれた場面です。この後、先を行く下田さんにも差し入れを渡しに行くと言っていました。リタイア後も裏方として色々動いてくれた野村さんの存在はありがたかったですね。

ここでは卵かけご飯をいただきました。身体に染みました。

伊里漁港 〜51.3キロ〜

22時30分のタイムアウトをクリアして、やっと後半戦です。この時点で先を行く下田さんとは10キロ近い差ができていたのではないかと思います。ここでは4人が通過をしました。

私と一緒に写るのは松岡さん(右)は、今大会の中でも長時間共に歩いたメンバーでした。冷静で前向きな彼にはメンタル面を大きく助けてもらいました。

閑谷学校緑地公園 〜60.2キロ〜

なだらかな山を登り続けた先にあるのが閑谷学校緑地公園です。到着したのは深夜0時付近だったと思いますが、この時点では田中係長はリタイアされたので、メンバーは3人になりました。私は松岡さんと帯同していました。

ここでは豚汁の差し入れがありました。

私の中で余裕があったのはここまででした。このあとは写真を撮る余裕はありませんでした。

リバーサイド 〜69.9キロ〜

閑谷学校緑地公園を出た私と松岡さんの足には明らかにこれまで感じていなかったダメージがありました。備前中学校を出てからの16キロはかなりペースを上げたと感じます。その代償がここで現れました。

閑谷学校緑地公園を出ると傾斜が増した登り、そして長い下りが待っていました。身体にかなりこたえます。

私は松岡さんと離れ、別々のペースで歩みました。

そして、リバーサイドに到着。ぜんざいをいただきました。既に写真を撮る心の余裕すらなかったようです笑

ここで松岡さんがリタイアされた報告を聞きました。膝に痛みを感じながら長時間頑張って歩いていた彼の姿を思い出し、その分自分が頑張らないといけないなと感じていました。

磐梨中学校 〜77.5キロ〜

リバーサイドから磐梨中学校までの8キロ弱の距離・時間が私にとっては気が遠くなるほど長かったのを思い出します。街灯がない土手をひたすら歩く。しかも、ここで左足の付け根から痛みが走り、もはや足を引きずりながら歩いていたからです。

磐梨中学校に午前6時というタイムリミットには到底間に合うはずがないと考えるとメンタルもぎりぎりでした。仲間にももうリタイア寸前だと電話で伝えた記憶があります。時速4キロに達していたかすら危うい感じでした。閑谷学校までのハイペースから一転、多くの人に抜かされながら歩くこの時間は地獄でした。

しかし、磐梨中学校には午前5時に到着しました。「ここで間に合わないなら完歩どころではない」と残しておいた最後の痛み止めを飲んで歩いたおかげかもしれません。

ここではうどんをいただきました。

リタイア 〜80キロ付近〜

閑谷学校以後、休憩後に身体へのダメージが露骨に出ることを感じていたため、うどんを食べたあとはすぐにスタートをしました。相変わらず左足は付け根から痛み、引きずるように歩きました。土踏まずには常に痛みが走りました。

午前4時付近で最後の痛み止めを使うことを決めた時点で、あとは自分との我慢比べでした。

そして、6時過ぎ80キロ付近でリタイアを決めました。

下田さん100キロ完歩!!

そして、午前4時33分。下田さんが100キロを完歩しました。おめでとうございます!!

後楽不動産から出場したメンバーで唯一の完歩者になりました。

80キロでリタイアした私からすると、この差は天と地ほどにあると感じました。

身体もメンタルも辛い中でやり切った下田さんは尊敬すべき勝者です。

そして、こんな大変な挑戦を決意したメンバーのみなさんお疲れ様でした!!

晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行 〜その後〜

最後の最後で80キロという自己満足の数字を達成することに固執した私は、迎えにきてくれた妻と運営の方に少し怒られました笑 なぜ磐梨中学校でリタイアしないんだと。要するに、設定したポイント以外のリタイアはいろいろお手間を取らせるようなので、控えましょうということです。。。

そして、GPSとゼッケンを返して妻の車に収容され家に帰りました。

帰って、驚いたのは自分の身体が思うように動かないことでした。テーピングを剥がした部分がただれたようになり、複数箇所に水膨れがありました。その後に軽く発熱があり、結局5/4は寝込みました。

思い返してみると 〜反省会〜

今思い返してみるといろいろと準備不足な点がありました。

  • 練習は30キロ以上経験なし
  • コースは当日初めて目にする
  • ペース配分がない

特に、備前中学校から閑谷学校までのハイペースが、その後約20キロの区間の大減速を招く結果となったように振り返り。

そして、私は上記の区間で松岡さんに無理をさせてしまったと感じました。互いに支え合う仲間であるからこそ、別々に歩む選択をするべきだったのかもしれません。

仲間のありがたみ

こちらは2017年に上司である古家野部長が100キロ完歩された時のバッチです。これを私に託していただきました。また、出場メンバーで励まし合いながら進んだことで、より力を出すことができたと思います。

期待に応えて、100キロ完歩しかった。。。

しかし、結果は80キロでリタイア。大会から1日経って悔しさが込み上げてきます。

こんな苦行もうしたくない・・と思ったのはたった数時間。次の日には2回目はいけそうな気がすると気持ちが切り替わっていました。そして、脳内反省会です。

いろいろありましたが、中途採用から4ヶ月経過した新人の私は、結果的に周囲との親密度を上げることができたのではないかと思います。少しは意地も示せたかなと。であれば自分に及第点はあげてもいいのかなと思っています。

皆さん、お疲れ様でした!

これは大会スタート前に撮った写真ですが、下田さんは最初から完歩を確信してましたね。

  • YouTubeの5:40:00付近で下田さんのゴールシーンが見られます

下田さん!!完歩おめでとうございます🎉

この記事を書いた人

経営企画室 高木

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